ウィーンの街には沢山の銅像があります。そして散策中にブラームスの銅像を発見しました。
天候も悪く、下向きのブラームスは哀愁が漂っていますが、個人的に大好きな作曲家の一人です。ブラームスはハンガリー舞曲 第5番などで有名ですが、やはり交響曲第1番は名曲だと思います。当時、ベートーヴェンの9つの交響曲の完成度の高さに、以後の作曲家達が交響曲を書いてもベートーヴェンを越すことが出来ませんでした。ブラームスもベートーヴェンの呪縛に悩まされましたが、21年もの年月をかけて交響曲第1番を完成させました。そしてハンス•フォン•ビューローから「ベートーヴェンの交響曲『第10番』」と呼ばれ高く評価されました。
ドイツの詩人、ゲーテの銅像もありました。どうしてウィーンに?という疑問がありましたが、モーツァルトがウィーンでゲーテの詩から『すみれ』を作曲したこと、もしくはウィーン出身のシューベルトがゲーテの詩から『魔王』などを作曲したからではないか、というのが有力な説です。
後からホーフブルク旧王宮と知ったのですが、ステキな建物だったので撮りました。
この宮殿には女性から絶大な人気のエリザベート(愛称シシィ)が住んでいました。彼女の存在はジュネーヴのレマン湖にある”シシィ妃のモニュメント”で知りました。シシィはジュネーヴで暗殺されてしまったのですが、モニュメントも美しかったのを覚えてます。
これがシシィの写真なのですが、かなりの美貌の持ち主です。しかも身長は172センチにウエストは51センチ、体重は50キロを切っていたそうです。あまりの美意識の高さに驚きです。
今回は行かれませんでしたが、いつかシシィ美術館を訪れてみたいです。
少し離れた場所にホーフブルク新王宮がありました。王宮礼拝堂では、毎週日曜日のミサでウィーン少年合唱団の歌声を聞けます。庭園にはモーツァルトの銅像がありました。
そこでもう一つの目的、モーツァルトハウスに行って来ました。
家はシュテファン大聖堂の側にありました。残念ながら撮影禁止でした。感想としては、約300年くらい前のアパートメントなので、歩きながら床が抜けそうで怖かったです(こんなひどい感想ですみません)。モーツァルトはこの家に1784年から1787年まで住んでいました。
無料の機械で説明を聞いたのですが、一番気になったのは死因でした。当時の医学では、治療法の一つとして瀉血(しゃけつ)がありました。これは人体から血を外部に排出させる事で病気を治すというのですが、モーツァルトはこの瀉血をした後に悪化をしたとの事です。現代では医学的根拠は無かったとされています。しかも聞き間違えでなければ水銀治療も施されたとか!?これでは健全な方でも死んでしまいますね。。。
この家でモーツァルトは「フィガロの結婚」を作曲したとのこと、一見の価値があると思います。
K.O.
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